南相馬に毛布を!
引き続き取り組んでいます。みなさんのご協力をお願いします
  
 

●毛布の提供をお願いします
  仮設で寒い冬を過ごさなければならないのに、毛布が不足しています。
11月末まで受付しています。
 
 
 ●毛布を直接送っていただく場合の送り先

 〒975−0038
 福島県南相馬市原町区日の出町189−2
 日本共産党ボランティアセンター

送付いただく場合も、11月中にお願いします。

 日本共産党徳島県委員会からのお願い

 

 
 アルバム  ボランティア参加報告【2】
  
   8月18日〜24日まで、福島県南相馬市などで活動してきました。
   ボランティアなのに、「報告」という形には自分なりに違和感がありましたが、被災者の困難や苦しみに、まるでおかまいなしのような「代表選び」にあけくれている政府関係者の姿をみると、私の見聞きした範囲ではありますが、現地の状況、お会いした被災者の方々のことを伝えなければと思います。
 そして、まだまだ支援が必要です。

 8月23(火)〜
   24(水)
 帰路
 行った道をまた戻りました。
往路と同じように、若者達ではない私達は、疲れが出ますから、夜になったら休んで眠るコースです。

朝8時に南相馬を出て、途中彦根で夜になり、そこで泊まりました。
 24日日も、休み休みの道中。行きより疲れが出て眠かったりするのです。

昼過ぎ家に着きました。長かった。疲れも出ました。
 しかし、この活動は息長く続けなければと思います。
 息切れしないように、がんばります。
 8月22日(月)
 小雨
 新地町でがれき拾い

 南相馬の党ボランティアセンターから約30キロ離れた新地町にある一般家庭(農家)の裏藪のがれき撤去を、徳島、香川の7名で行いました。雨でしたが、気温が低かったため、雨具を着て作業できました。

 このお宅は、前は海、後ろは小さな用水が流れる田園地帯です。
海側は小高い丘陵になっているので、海からの津波では被害が少なかったそうですが、裏側の用水から津波に襲われ、床上浸水したそうです。

 大きな柱や壁などの瓦礫が流れて来た割りに、家が傷まなかったのは、用水側の竹やぶのおかげだそうです。
竹やぶの中に、どこかの家屋がこっぱみじんになったのでしょう。太い柱類、ベッド、ふとんなどの日用品やゴミ類がいっぱい引っかかっていました。

      
        重いごみを拾い出す井坂市議

 わたしたちは、それらのがれきを一つ一つ取り除いていきました。
藪をかきわけながらの作業、しかもごみが重いので、大変でした。

 田んぼのがれきは、自衛隊などが撤去してありましたが、各家庭の屋敷まわりは自分で取り除いているそうです。しかし、あまりに大きなゴミですから、高齢者には無理だと思います。行政もそこまで余力がないでしょうから、今後もボランティアの力に頼らざるをえないのではないかと思います。
溝の泥出し、雑草除去など、今後も仕事はいっぱいあると思います。

 昼過ぎまでかかって、軽トラ4杯のがれきを集め、ごみ集積場に運びました。
     
      

あとは町の収集車が来て運ぶそうです。
被災地のあちこちで、大きながれきの山ができており、木類、鉄類、タイヤ、コンクリートなどに分類していました。
放射能汚染が心配されている地区での膨大ながれきの山は今後どうするのでしょうか。

      

首相は福島県内に保管場所を作りたい作りたいとか。
全く、どうしようもない事態です。

帰り道、新地町の井上町議の案内で新地町、相馬市の海岸線の被災地を見てまわりました。
行けどもいけども、こっぱみじんの被災地…

         
           今も田んぼに船が

        
         相馬市の海岸線で。おおきな町があったそうです。


 8月21日(日)
 小雨
 物品届けと交流集会

 雨でこの3日ほど、肌寒い日が続きます。東北だから寒いのか、と思いましたが、この涼しさは異常だそうでした。
この日は、京都の人たちが、南相馬市内の小学校体育館(避難所)で、野田淳子さんのコンサートとそうめんの炊き出し、無料バザーなどを行うということで、香川、徳島のメンバーも支援に参加しました。

 避難所となっている体育館には、まだ行き先が決まっていない方が生活されています。
 ダンボールを壁にした狭い空間で、この暑い夏をすごしておられます。
 「仮設に行ったら、電気代も水道代も食費も自費だから。」と、生活の心配をしておられます。まだまだ行政からの支援がきめこまかく出来ていないのですね。

 体育館で野田淳子さんの歌のコンサートの間、私は校舎の廊下で物品バザーのお手伝いをしました。
必要なものを持っていってもらうというものですが、京都から持ってきた野菜が人気でした。
かぼちゃ、なす、じゃがいも、米などすぐ無くなりました。

 また、これから仮設などに引っ越したら、茶碗や箸などが必要ということで、日用品も大人気でした。
節電の上に節約節電ということで、「手動扇風機(うちわ)」も人気がありました。

タオル、石鹸、シャンプー、リンスなど持って行ってくれますが、入浴剤は持って行ってくれません。質のいいものなのにと思っていたら、「バスタブにお湯を溜めないの。水道代がかかるから。」というのです。本当に申し訳ない思いです。
       
     校舎も体育館も新しくてりっぱな学校です。本来ならもうすぐ新学期なのに。

 また、この日、体育館イベントで、3、4名、子どもさんをみかけました。保育園児と小学低学年くらいのこどもです。ここでは、大人しか見かけませんでしたが。

 思わず、「うわあ、ここに来て初めてこどもさんの姿を見ました。」と声をかけると、若いお母さんが、「いままで、避難所を転々としてきたんだけど、どこでも子どもがうるさいって言われて、それで、南相馬に戻りたくはなかったけど、行くところがなくて、仕方なく子どもを連れて帰ってきたんです。」
この言葉に、私たちはどう答えていいかわかりませんでした。


 夕方は、このご近所を、困ったことはありませんかと一軒一軒訪問しました。
 介護度5のご両親の行き場がなくて、今山形の施設に入れてもらっているけれど、すごく遠くて大変。いつになったら、地元の施設に帰ってこられるでしょうか。などの深刻なご相談もありました。
 日本の政治が高齢者に冷たいけれど、被災地の方々には、より重い困難がずっしりと被さっていると思いました。
ここに支援の手を差し伸べることこそ、政治の責任なのに。

テレビを見ても、足の引っ張り合いばかりで、腹が立つだけだから見ない。電気代もかかるし…という被災者の言葉。本当にそのとおりだと思います。

夕暮れ時、また支援物資を持って仮設住宅へ。引っ越したばかりというご家庭に包丁セットなどを届けました。

届け終わってボランティアセンターに戻ると、今朝品物をからっぽにしたはずなのに、また四国から送られてきたという日用品のダンボール箱が積まれていました。
被災地のみなさんを応援する手紙も添えられています。
国民の心はこんなに温かいのに。それにひきかえ…

菅首相や代表選挙立候補のみなさん、体育館や仮設住宅で暮らしてみたらどうでしょうか。
被災地を巡礼しなさい。


 8月20日(土)
 曇り、小雨
 物品を届けに

 南相馬市鹿島区牛河内地区にある仮設住宅3箇所で無料物品バザーを行いました。
 私達が持っていった米や芋、玉ねぎのほかに、全国からセンターに届けられている日用品類を持って行きました。

 避難所から仮設に移ったばかりの方が多いということで、集会所も建設中でした。
 工事に来ていた職人さんたちが、集会所のポーチに品物を置かせてくれました。
 ここに品物を並べていきます。

    

 現地の党支部の方とともに、一軒一軒、必要なものはありませんかと訪問。
 品物を見に来た方々は、つい昨日とか、2、3日前に仮設に入ったばかりということで、箸も茶碗も、何もないのだといいます。
 すべて流されてしまって、着の身着のままで避難所にいたから、タオル一枚でも嬉しいといって持って行ってくれるのです。
    


 特に米は大変喜ばれました。3キロと5キロに小分けしたのですが、すぐ無くなってしまい申し訳ない思いでした。

 また、支援の茶碗を持っていかれた方は、「本当に、こんなのいただいていいんですか。避難所から来たばかりで食器が何もなくて、紙コップを洗って使っていたところだったんです。」と言っていました。
 仮設に移ったら、こまごまとした日用品も揃えなければならないけれど、仕事もなく収入もないので、贅沢は出来ない、だからこういう支援が本当に有り難いと、何人もの方からお聞きしました。

 仮設に入れたものの、また新たな苦労が始まるのです。

 午後は、明日行う避難所でのイベントお知らせビラを配布。原町地区を回りました。
 りっぱな家なのに留守宅で、庭の草も生い茂っている屋敷が目に付きました。津波被害を受けなかった地区も原発事故の影響で沢山避難しているということでした。
 特に、保育所や児童館が草ぼうぼうです。現時点では、草を刈りたくても汚染が心配で刈れないそうです。このままでは荒れ放題とならないかと心配してしまいました。
 子ども達の元気な声が聞かれるのはいつの日でしょうか。

 8月19日(金)
 雨のち曇り
ボランティアセンターに無事到着

 朝7時に富山を出発。
途中、放射線量の高い飯館村を通過してきましたが、6月に通った時と比べて、田畑にさらに雑草が生い茂り、一面の荒地の状況に心が痛みました。

 ちょうど飯館で燃料がなくなり不安でしたが、一軒だけガソリンスタンドが開いていました。給油に入ろうとしたとき、突然グラグラと景色が揺れ「震度5」を経験。いっせいに全員の携帯に地震情報が入り、津波の恐れとのこと。私たちは余震の続く地域へ来たのだと緊張した一瞬でした。幸い、この地震による被害は無く、良かったです。

 南相馬市の日本共産党ボランティアセンターに着いたのが午後3時。
 本当に遠い遠い長い長い道のりでした。車を降りても、まだ余震が続いているような感じでふらふらしましたが、センターに荷物を下ろし、米や芋などの小分け作業をしました。明日は仮設住宅へお届けに行きます。
       
 たまねぎに「まつしま」とあるのは徳島県のJA板野郡松島支所のことです。たまねぎ、さつまいも、米、すべて徳島産です。


 8月18(木)
  晴れ
 福島へボランティア出発の日。
 今回は、私と夫、天羽小松島市議、井坂阿南市議の4名で参加します。
元気な若者なら、早朝から夜中まで走り続けることも出来るでしょうが、花の60代グループ、そうもいきません。泊まりがけの行程となります。
 私と夫で担当しているしんぶん赤旗日曜版などの配布を早朝から済ませ、持って行く米の精米をし、市場で購入した玉ねぎと鳴門金時をワゴン車に積み込むと、出発は10時を過ぎました。


 小松島市で参加者合流し、簡単な出発式。
 近所のモータースさんが貸してくれたワゴン車。道を間違えないようにと、最新のナビまでつけてくれました。
しっかり働いてきます。
     
  夫、私、井坂阿南市議、天羽小松島市議。

 玉ねぎ100キロ。鳴門金時50キロ。米210キロ。そして私達の計○○キロ。さぞ車も重いことでしょう。
 今日は富山泊。